本日の修錬 2025/01/27
本日午前中は、一条摂政集と倪元璐の臨書に取り組みました。
この二つの古典は今後の作品作りのベースとしたい古典ですが、ここ数年は目の前の展覧会の課題を優先してなかなか充分な時間を充てることができませんでした。
かつて集中して取り組んだ好きな古典でも、やはり日常的に臨書を積み重ねていないとどうしても感覚が抜けていってしまうので、日々の書き込みは必要不可欠です。
目の前の課題や作品に集中しつつも、ベースとなる古典を疎かにしない。そのペース配分が課題です。
今年に入ってからこの二つの古典には意識して時間を割くようにしているので、試しに今年になってから書いた倪元璐の半紙臨書を床に並べてみました。
少しずつ感覚も戻り、それなりに特長をとらえられるようにはなってきていると思います。
「やはり倪元璐はいいな」と思う反面、これを作品に生かすという点ではまだまだ目途がたっていません。
これを作品に生かすにはどうすればいいか? はたと考え込んでしまいました。
原本からの集字の継ぎはぎだけでは作品にならないことは解ってきましたが…。
倪元璐の筆法が自分の腕に充分沁み込むまで臨書を重ね、それが自分がこれまで学んできた様々な古典や要素と融合して、自分の骨となり、肉となり、集字に頼らずとも倪元璐的な要素が自然に作品に滲みでる、倪元璐そのままではないけれど、倪元璐の影響が誰の目にもわかるような、そんな作品作りをめざしたいのですが…。
あまりにも遠大な目標で、残りの人生を全力投入してもかなうかどうか…。
一条摂政集の方は更に臨書歴が浅く、まだまだ原寸臨書であたふたしている状況なので、全く先が見通せません。
常に目標意識を持ち続けることと、日々の臨書の手を抜かないこと、まずはこの二つが重要と改めて自戒しました。
本日の修錬は2時間ほど、集中度90%、課題認識度80%、目標達成度40%でした。